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第二号・2013.9.4 

                  子ども社会臨床研究会□発行責任者 亀口公一

◆はじめに

 子ども社会臨床研究会(こりん研)は、地域の中で「子どもの側から考える」「子どもと共に生きていく」「子どもからのまなざしに寄り添う」を主な視点にさまざまな臨床現場(教育・医療・心理・福祉)の専門家や親・関係者が集い、相互研鑽と自己点検の場をつくろうということで発足し、2ヶ月に1回の勉強会を開いています。9月勉強会の案内は裏面に。


◆定例勉強会の報告

 7月勉強会(第1回)では、『教育「疑術」論』の著者である元・京都市立小学校教員、野崎康夫さんに話題提供していただきました。野崎さんは、この40年で教室での子どもの様子がとても変わりましたと、少し複雑な表情で語り始めました。

退職後、授業中に机の上を裸足で跳び歩く子どもと、何事もないかのように勉強を続ける他の子どもたちが同居する不思議な教室空間にとても戸惑いを覚えたとのこと。参加者からは、昔は先生と親が思い描く教育観や子ども像は、ある程度共通していたが、今はそれぞれの拠って立つところがばらばらではという声もありました。

野崎さんは、教師が当たり前と思っていることを疑ってみる力の必要性や教育の可能性をゆっくりと語りかけていました。

◆子ども時評 〜新型出生前診断を考える〜

 先月、毎日新聞に「新型出生前診断1534件-陽性29件、2人中絶」の記事が大きく報道されました。今回、中絶死させられた二人の子どもはダウン症候群と思われますが、これまでと違うのは、受精卵の段階で命の選別をされた子どもたちです。

 まさに、新たな産業である遺伝子産業の犠牲者にほかなりませんが、今後さらに増え続けるものと思います。

 江戸時代の口減らしであれ、戦後すぐの寿産院事件であれ、今から20年前のカンデラリア教会虐殺事件であれ、おとな社会が生き延びるために、子どもたちを犠牲にしてきた人間の歴史があります。そして、今でも多くの子どもが虐待や貧困に苦しむ現実があります。

 しかし、この「新型出生前診断」は、子どもの存在と可能性そのものを根本から否定しています。今の社会で、おとなが子どもの側に立つことは、親やおとな社会を敵に回す覚悟が必要です。それほど、子ども・自然/おとな・社会の関係は、対立関係にあります。おとな・社会が、子ども・自然と共に生きる寛容な時代はまだ来ないようです。

  出生前診断は、決して子ども当事者のためではありません。親やおとな社会のためにあるのです。おとなは科学技術によって、一見豊かになっているように錯覚していますが、子どもたちの声なき声は、産業革命前と同じように闇に葬られていくのでしょうか。

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